it can't be helped

悲しみに駆られて涙を流す自分を違う自分が疑いを持つ。本当に悲しいのか。俗に言う悲しい話、気を落とす話によくある流れで涙を流しているのでは何かと。そんなふうに思い始めると自分はいつ誠実な気持ちを表すのかと問いかける。無性に泣きたくなる時、無意識に心が痛くなり涙が流れる時。そんな時しか自分自身を信じられなくなってしまった。わざと涙がながっるのを何も考えずに待つ。

ある結果が不登校にさせたり、追い込んだり。ひとつのこと。たった一つのことが自分自身の歯車を狂わせる可能性がある。それは良い方向に行くかも知れないし、悪い方向に行くかも知れない。今こんなふうに、真夜中に眠れずに考えることがこんなことなら、おそらく自分は悪い方なのだろう。長く頭の中で論争してきた。何かが変わった。自分のどこかが前とは違う。こんなにも自分自身のことについて考えるようになったのも、一つ変わった部分でもある。前まではこんなにも自分自身について考えたことがなかったから、この違和感を取り除き戻ろうとしても戻れない。檻からようやく出れた家畜が野生界に巣がないように、帰る場所がない。

 

いつからこんなに自分自身を嫌うようになったのか。思い当たる節が今夜見つかった。高校の時、ゴミ出しをしに行くと部活に行く波に飲まれる。自分はゴミを持ち周りは大きなリュックを背負って足速に動く。早く歩く必要のない自分と急がなくてはと言う思いに駆られる周りの人間。自分はゴミを片手に。ちっさい事だなと思う人が大半だと思うが、下を向いて歩くしかなかった自分が恥ずかしかった。自分で自分を恥ずかしいと思う自分が惨めで視界を下に。

小さいきっかけが何かを狂わせ、いまだに受け入れられない自分がいる。自分の一部になりきっていない。自分が取る行動や感情の変化に違和感を感じ。何度も考える。

 

そして、これを打ち込んでいる間にも自分の話を美談にするように、自分大好きな語りやではと心のうちで騒ぎ出す。なんて可哀想な子なの。いじめられて可哀想に。頭を撫でて安心したいのか、自分の栄光を語りたいのか。また混乱の中にいる。

 

ここ数年間で心の中でとどめていることは、言葉で出てきた心情は偽物だと。瞬間で感じるものは言葉よりも先に感じるものがあると。それは雑念でも巧みに操られた言葉で認知するものでもない。

心にとどめて置けるものがあると、自分自身がわからなくなった時に自分自身の気持ちを測る定規となる。