What I know

なんとも心が動かなくなるというか、目頭が熱くなる。

惣領冬実さんは本当に応援していたのかもしれない。MARSの内容も樫野零の生き方やイメージそのままである。さらに、桐島という登場人物を加えることによって男女問わずにその生き方に多くの人が惹かれていたことを描写しているのではと思った。自分自身も女の部分があるんだと思い知らされた。

最近はどんな人が結婚に向いているかとか、どんな人が幸せにしてくれるかとか未来についてどんなにふうに過ごすようになるのか考えていた。どんな顔がいいだの、あの人は不細工だのあまり人に話すことは避けていた。人のことは言えない容姿だし、誰かに言われるというのがどれだけ辛いことか知っている。

それに、大きく期待しすぎるのが嫌だった。これまでの経験である。何かに期待し続けると目の前のチャンスを掴まずにもっと上に行けると勘違いさせ逃してしまう。

 

話を戻すが、人はいくつかのことを人生でやり続けるが何をやっているかよりもどんなふうにというのが人の心を惹きつけるのだと思う。人柄、性格いろんなものが影響すると思うが何をやっても頑張っている人は応援したくなるし、惹きつけられるものがある。そこに気づくのがまた人としてその人の何かになりたいのであれば気づくべきである。

 

こんな受験期。あと数日だというのに最低限のこともできない自分は人の目にどのように映るか。ギリギリまで諦めずにやろうという切り替えがこれでできそうだ。

 

また違った話だが、悪夢を見た。昔の高校の頃の部活をやっているシーンだ。自分自身でどんな感情か知覚するし動くこともできる。妙に現実味があって不愉快だった。数年経って成長し、落ち着いて何があったのか自分の非も含め考え直す時間があった。そんな中で同じような体験を夢の中で再度経験したが、耐えられそうになかった。なんだあ怒りを抱えながらもやり過ごそうとする自分が夢の中にいた。遠くから細切れの紙芝居を見ているようで、記憶というものは夢の中でなお生き続けていた。

 

遠くの自分にではなく近くの自分に質素な目標を与えようと思った。時間の大切さ。やりたいことの明確さは生きている時間の豊かさを教えてくれる。大きいことを抱え込まずに小さい壁を乗り越えようと明日も頑張る。そして、ノリックを見ていて謙遜というのは人を安心させられる材料であると教えてくれた。全ての手駒をベラベラと教える必要はない。たとえ近しい人にも。