start to study time

久しぶりに書く。まだ余韻に浸っている。余韻に浸りながら書きたいことを書く。何事も記憶は新鮮だったはずなのに薄れていってしまうから。

 

目に前で優勝を見れた。あまりにも突然で今が優勝なのかと疑った。みんなが嬉しそうにしているのをみて、目元が緩くなった。夏の間一人で神宮に行って応援していたのを思い出した。周りの目が気になったり、誰かと見ていたらもっと面白いのかなって思ったりした。今回姉と一緒だっからかすぐに共感できた。夏の記憶とイマの記憶が交差すると何だか不思議だった。いつまでもあるものとでも思っていたのか終わりが見えてきてしまった。

 

ホームとしての神宮が人生において最後の日でもあった。外の解放された球場であったからこそ空色の変化を楽しみながら観戦できた。真夏の湿気た空気を含む風から夏の虫たちが鳴り響く夜の風にかわりながら迎える毎試合の終盤。心地よい気温の中、心を満たして帰るのが好きだった。

 

正直に思うと異世界であり、羨ましい世界だと思った。女性の仕事しては名をあげない代表格でもある反面、女性の体では耐えられないのが真実ではないのかと感じた。

 

さまざまな選手のインタビュー記事を見て感じることは言語化できるほどの努力や人に語ろうと思う心情は嘘をつかないのかなと思う。何になりたい、何がやりたい。そんなことは口先で言えるけど、そのために行動したことは活弁には語れない。目標のための行動に尽きると感じた。

 

自分自身、受験に対して焦りを感じているが勉強を十分にできていない。選手達と自分を照らし合わせてアクションを起こそうとするが何かが塞いでいる。

 

いつか、いつかこの記憶の鮮明さも掠れてしまうだろう。飽きがきてしまったら、何を見ても湧き出るものがないのが少し名残惜しい。

 

そろそろ秋が来て冬も目の前で待っている。何がしたいか、何を期待されているか。考えて一日を過ごす必要がある。

 

登場曲の歌詞中にあり忘れられないものがある。「運命を今生き急ごう」

果たして今は運命が巡ってきて過ごしている時間なのか疑問に思った。求めている事柄は巡ってくるのかもしれない。それは自分自身がそこに近づこうとしているから。常になにをするべきなのか結果に派生した小さなことを毎日思う必要がある。

「意志あるところに道がある」アメリカのリンカーンが唱えた。奴隷解放宣言のために力を尽くした偉人である。何も考えていない事柄が降りかかるときはおそらく下落にいる時である。同じ目標を掲げている人々よりも頑固さを出し粘り強さを見せたい。

 

「私は必ず大学に受かりキャビンアテンダントになる。ここまで一つの夢にこだわり続けるためにサポートしてきてくれた家族がいるのだ。諦めたくないし、諦めるわけにはいかない。そして、謙虚に人格者として社会人に成長するためにアカデミックな言動と行動を心がける。」

 

人の出会いを成長に繋げることも意識したい。これまでに人間の怖さと、一時期は人が嫌いだと思っていた。自分では相手に対してやれないようなことを人は嫌う。そして、自分自身の固定概念として人になすりつける。ある時気づく。こんな小さなことだと。誰に対してもまずは広い心で対応しよう。

 

さてさて、ここまでが九月の成長である。