雨の日

何かに恐れている。他の人と自分を比較して

無性に泣きたくなる。泣こうとするとこれも誰かに弱さを見して自分の弱さに漬け込んでいるのだと錯覚させる。そうすると何だか自然に涙が出ることはなくて、何でも人への見せ方のためにコントロールしているのかと思わせられる。

 

雨が降るなか、救急車の音が響いている。部屋には一人、いつでも死んでいいやと心から思うといつも怖がっていた空いたタンスもひとりでに軋む室内の音も怖くなくなる。誰もが生にしがみつきながら生きていく中で、そこに自信の存在意義について問いかけてみる。帰ってくる答えは、そこまで求められていない存在の面影と、誰かのためなのではと感じる。こうやって思えばまた、自分はかわいそうな子、厨二病だの思わせてくれて自分らしさのかけらもない。

 

誰かが自分の人生の時間をかけてまでお金を稼いで子供のために貢ぐ理由とは何か。家族の関係、血筋の関係がそこまでする理由になるのか。でもそこに欲を出したのが自分で、巡って自分が一番汚いのか。

眠れない夜に考えすぎるとさらに眠れない。明るい世界について妄想しながら静かに眠れる夜が一番夢を見やすくて寝起きがいい。でも、また朝電車に乗って外の街並みを見ると自分がどこの地に足をつけて息をしているのか考え出すんだ。そうすると何だか電車を使って死にたくなる気持ちもわかる。

 

死ぬか生きるかこの二つの選択で決めることもできるし簡単に血を流し続けたり、誰かに頼んだりすることもできる。儚い命・簡単に失える命に対して欲を出しすぎたから生きづらく、死にづらくさらに、命を天秤にかけた倫理ができてしまったのだ。

 

こうやって考えても最終的には解決にはならないんだ。体の中心が痛む理由は自分自身の問題であり、周りが作ったものではない。何かと逃げれば、いや逃げないと潰されると思っていた。けど、自分自身を潰そうとしている壁はいつだって自分の上にいて、操作しているのもそこに壁を置いたのも自分。巡りに巡って忘れられない出来事が刻まれたのだ。もしかしたら、その出来事も自分で生み出した結果だとしよう。そしたら、いじめではなく。ことばが見つからないな。

 

胸の下、中心部分が痛むんだ。重くて、大きく息を吸って軽くしようとしても勝手に涙が出てくる。どうすればいいかな、もう高校を卒業してから何年も経つんだ。こっちにきてこんなこと話す相手もいないし、話したくない。でもこの重さに耐えられなくなった時こうやってどうすることもできなくて打つしかないんだ。

いまだに過去のことを引きずってるなんて言えやしない。