eva part2

自分もキャラクターのようにそのフィクションの中に入って構成要素のような気分にさせる。どんなるのかなって思いながら人が作り出したものには終わりが来る。自分は進みたくても想像できなくなる。

 

人は誰かからの思いをことばや音など認知できる方法で受け取り刺激を与えているのかもしれない。人は刺激を与え、欲している。その行為ができる期間は体感的には長い月日が用意されていてなかなか表に出そうとしない。しかし、刺激に飢えるとアニメや他の媒体を使って同じエナジーを得ようとするのかもしれない。フィクションは限られた時間、全てに意味があるものを含める。込めた思いがことばと共に直に伝わる。人々はそれで刺激を補うかのようにしているのかもしれない。

 

アニメよりも長い寿命がある人間にとっては日々は似たようなもので飽きてしまうかもしれない。

 

空虚感がすごいなあ。悲しいな。なんとなく人の手で作られたものだと終わってから実感するものだ。そして、エヴァを見る中でことばの強さを知った。やはり、発すること、伝えようとすること。そのことばが伝わったのであれば相手にとってそのことばは大きな影響を与える。ミサトが発したことばでニアインパクトが完成してしまうし、そのことばでシンジが槍を抜く必要があると考えさせた。ことばを誰かに伝えるのなら、相手がそのことばで請け負う可能性のある責任を一緒に負わなければならない。情動で動いて後で後悔するぐらいなら、自分自身を抑え、その場で最適なことばが見つけられるほどの知識を身につけるために自分自身を成長させようと努力する必要がある。

アニメのようにすべてのことばを飾る必要はないけど、一つひとつのことばが長い期間経ったのちの自分を作り上げるのであれば大切にしようと思えてくる。

 

いつかの自分は生産性のない会話は好きじゃないと話していた。今思えば、たわいもない会話にある感情のないその場しのぎのことばがどうも苦手だったらしい。

要するに、ことばを発する前に傷つく自分を恐れ、口を閉ざしていた。だから、人のことをベラベラと話すようになってしまったのだ。

 

 

 

 

最後、シンジの声が違かった。なんとなくシンジが成長したんだと受け入れた。周りの反応を見ると驚いている人もいるようだ。いろいろな意見があるけど、なんとなくシンジ自身も視聴者自身も共にエヴァンゲリオンの呪縛から解放されて切り離すようなイメージを持った。もう、か弱いシンジではなく大人になり首も解放される。違った一面のシンジで終わらせ、軽く裏切りつき離すようなイメージ。もう大丈夫だよみたいな。それならそれでいいんだ。