The past of my life part1

生活の一部にばら撒かれている引き金に躓きながらも進んでいる。それは、大人数で囲まれているシーンであったり、青春を味わってるしーんなど。なぜ私にこのようなトラウマが植え付けられたのか長い長い話になるが語ろう。人生でこんなに素晴らしい経験をすることはないだろうしこの先あれほど辛いものがあったら私はこの世に存在できない。なぜなら、あの頃も生きるのに必死だった。

 中学生からソフトテニスを始めた。なぜ入ったのかは覚えていないが最初から決めていた。姉と一緒にテニス用品を買いに行き、同じ色の同じ型、少し初心者には高い逸品を買ってもらった。入部仕立てはとにかく体力づくりで先輩たちとは帰る時間も違かった。伝統的にいうと「土手らん」=坂があるところをとにかく走るのみである。辛さは感じなかった。幼かったからだろうか。無邪気にはしって毎日上手くこなしていた。三年生が引退した頃にコートに余裕ができ私たち一年生もラケットを振るようになった。「とにかく強く、アウトできるように」とコーチからの助言をもらった私たちはとにかく降った。この時私はすでに肘の痛みを感じたことから前衛に向いていると感じていた。人よりもラケットの振りが弱いのと体力に自信がなかったことから走れないと悟っっていた。後程この選択は間違っていなかった。自分から前衛に手を挙げる人は少なかった。

 テニスがとにかく好きだった。上手くやれると信じてやっている反面と自然とテニスを欲している自分がいた。ボールを弾いた時の心地よさとペアでプレーしている側面が特に私は欲求を満たしていたに違いない。ペアというものは喧嘩が付き物だがあまり責める方でもなかった。あの頃はなぜだかわからないが自分が一番上手くて誰にも負けない自信もあった。何も怖くない。できないことは上手い人のを真似すればどうにかなる。想像したように成長する自分に納得がいっていた。そのため喧嘩しなかった。言えば変わると信じていた。口数も多かった。今思うと家族のサポートについて考えたことがなかった。自分のことばかりであったな。