It is teen in my life

後数ヶ月で10代が終わる自分へ

 

どうでもいいと思いながら何も残らない高校生活を送り今振り返ると、本当に残っているのは哀れな自分と全てに反抗していた自分であった。

写真を全て消して人目を気にして全てを疑っていた。

外に出ることなく人と話すことなく同じことの繰り返しをしながら心は葛藤していた。自身の選択で自分に着せた汚名があまりにも重くて耐えられなかった。

 

自分らしさなどなく影に埋もれた生活。その中でも傷ついた心は痛みを知り免疫がついたように表向きは振りまいていた。

 

それでもふと思い出すのは沢山の目に囲まれた後、別に自分が悪かったといつものように思いながら少しだけ悲しいと思っただけだったのに涙が止まらずテスト用紙を濡らしながら声を抑えていたこと。

 

この時点ではいつものことだと。周りから見てもそこまで以上だったのか。そうはいってもその日は部活に行けずに姉を頼った。そんな姿を見せたくもなかったし一人で解決できると。明日にはもとに戻ってるだろう。

 

全く責める気もなかった。自分に良くもこんなことをなんて思うこともなかったし嫌われていたことも承知で気にかけないだろうと。こんな形であなたたちを避難したくなかった。テニスの実力で見せたかった。

 

辛いことから逃げて大ごと叩く自分もそろそろ成長しなければならない。10代で起きた出来事を整理してこれで大人になれるかと問いかける。

痛みを知っているからこそ気づける大人へ。

2年もの間絶え間なく抱いていた自分への哀れな気持ちは自己肯定感を深く深く掘り下げ、自信など顔を向けようともしなかった。

 

人間関係が生み出す痛みは相手に伝わりにくいし取り除くのも難しい。それを知っているか知らないかは大人になる子供が欠けていることであろう。

大人になるべき子供は悲しみや痛みを知ることで大人になる。

 

これを知ったことは良い経験であったかもしれないけどあまりにも与えられた残った時間が長くて辛かった。高校生活は全てがまるで感情的な脆いハートみたいだった。

 

今でも定期的にこのことを深く考えて文字化したいのかと考えた結果。繰り返したくないこと忘れたくないからだと気づいた。

人にこのような気持ちを抱かせてはいけない。そして自分がしている行動に相手と自分の意志を添えなくてはいつでも起こりうることだ。気づかないのは知らない感情であったり経験をしたことがないからである。辛さ、痛さを知る以上、私にこれを知らせてくれた人たちでも同じことはしたくない。

 

もう一つ、忘れたくないから。たった今のリアルな現状は記憶にあってもこれが数年後は存在しなかったように忘れるのが記憶。細かい部分も忘れたくない。

 

20代は自分らしさを出して素敵な人と出会って娯楽を楽しみたい。