人が見る人の違いとは。

誰かが高いものを身につけ好かれる存在である一方、自分は何をしているのだろうか。

お金という不公平に見えてそうでなくてはいけない世の中の成り立ちを目にして何を思うか。

嫉妬心が芽生えて見て見ぬふりをするか。実際に今は現実のように思えない。

お金を持っていない自分にとっては大胆なこともできないし、しようともしない。

サピアウォーフの仮説である。知らないものは知るきっかけもない。

なんだかんだいって今は知るための環境づくりと知識を蓄えている時なのである。

だから学問というのは義務としてあるのだ。

 

誰もが知る人となりたいのか、誰かになりたいのか。わからない

今は周りすべてのものと人と事柄が気になってしょうがない。結局は誰かの容姿や行動様式に駆られて自身が擦り切れてしまうのではないだろうか。

青年期の成長課題とは重いものだ。最近はココロの雲行きが怪しくなるのは心中が気づき始めて防御し始める。逃げようとして逃げようとして最後には悪魔の方に捕まる。

自制心のなさがわかる。これも誰かはやっているんだと言い聞かせて。

 

結局何がやりたいのか。不安は付き物だしその解放感も知っている以上は頑張らなくてはいけない。

 

ママからお手紙を渡した。ただ甘えた手紙だが、仕事前のままにとっては嬉しかったのだろう。そうだ、こういうキャビンアテンダントになりたいのかと心から思った。誰かのモチベや元気の元になれればいいのかなって。飛行機に乗ってどんな思いを心に浮かばせて帰ってもらえるか。知らない人との関わりを作りたい。

 

最近は上を向いて歩こうと思っている。なぜなら、高校の時はみんなの顔が怖くて下を向いて一人で歩いていた。楽しそうにしていて良いものかわからなかったし作り笑顔ができないたちでもあった。イヤホンをして聞こえないようにして心で叫んでいた。「怖い、寂しい」

でもそれが人との関わりを自分から遮断していた。誰からも相手されない自分はいつも誰かをせいにしていた。被害者ぶるのもやめようと思う。