今日は2回目のアルバイトでした。そこから学んだ新しいことを残しとくために今日は打ち込もうと思います。
一日中憂鬱でした。お腹と心にかけて重いなと思うほど。
心がどこにあるのかというのは高校の時に十分なぐらい思い知ってました。よく人が心が痛いと言います。心=心臓ではないと思っています。
本当に心が痛いと思うときは溝内がとにかくひずんずんと疼いて呼吸がしにくくなるのです。
鼻から大きな空気の塊を出すような呼吸になります。
この心情について考えるといつも思い出すのは、
「辛いことを無理に忘れようとはせずに辛くても記憶に留めておくこと」
誰が口にしていたのか定かでは無いですが、有名人でもなく確かその辺にいた人が放った言葉だったかと思います。
すごくこの言葉で安心しました。テニスを見ると悲しくなる自分や、その頃に使っていたものを全て捨て払った自分、約一年間の携帯に入っている写真を削除し空白の何も思い出が残っていないほど感情の浮き沈みが激しかった自分が丸くなった一言です。
生活の全てであり、私の優いつの自信でした。簡単には決断できなかった。時間が経てば経つほど人が離れていくのがわかりもっと戻れなくなっていきました。
自分の非もあったことを心の奥にしまり込もうとした自分に気づくともっと辛くなり何もかも辞めたくなり電車を見ていました。
親にも言えませんね。学校に行くのも嫌で最寄りまで来て足が動かなくなり乗ったまままた引き返したのを覚えてます。その時に聴いていたワンオク。あと何曲あと何曲と笑
これまでの努力と綺麗であった思い出に自ら背を向けて次になにをしようとは考えられませんでした。
側から見たらただの辞めたですが、中身は逃げたです。これが私だと。善意で勝手に行動し、人からの印象のために涙を流す人だ。これが今でも苦しめてきます。今やってることは自分らしさからきたものなのか、自分のためにやっているのか。
いくつの夜を超えてももう本来の自分には会えないんだと悟りました。
変わってしまったんだと。疑い深い自分に。疑いは自分だけでなく友達、おや全てです。
一つの逃げがここまで変えてしまうとは思っていませんでした。
このpainは今を作っています。あえて忘れようとはせずに定期的に思い出しながら自分を悲しくさせます。心の痛みがひとつ逃げの代償であると思っています。